2014年7月18日金曜日

Мне трудно изучать Русский язык. 難しすぎますロシア語。


今年も暑い毎日も必死でロシア語のお勉強。しゃべり始めた一歳半の孫のカタコトと競争。負けるのは時間の問題か。
小学2年生になったおしゃべりホノちゃんの日本語とはどう見てもGちゃんのロシア語は マケ。 とほほ。
2回目の夏を迎えたロシア語のお勉強。やめれば忘れてしまうだけ。自縛 悪戦苦闘 ロシア語に のたうちまわりのGちゃんです。







どうしてロシア?
 
共に助け支え合い、そして働き、学び、愛しと言った そんな人本来の「生」そのものの在り方を問うのではなく、所有すること、消費することに価値を求め ひたすら「右肩上がり」の「お金持ち」を目指してきた我々現代人の生き方。

長年アメリカと関わり そこに暮らし 多彩な価値観や自由を謳歌してきたGちゃん。大なり小なり 多くのみなさんと同じようにモノに溢れるその豊かな生活と人生は 恵まれた時代を生きてきたとも言えます。世界はアメリカを中心に回っていました。競争社会に勝ち残り 富と権力が豊かさの象徴で目標でした。アメリカンスタンダードがそのままグローバルスタンダードだったと言えます。だれも疑いもしませんでした。。そんな中、遠い東西冷戦の昔から ロシアはそんなGちゃんにとって最近まで 関心もない 得体の知れない不気味な国でした。

すでに2回 アラスカやカナダの北極海の極寒に挑戦してきたGちゃん、次の挑戦は真冬の凍りつくバイカル湖まで このボロのマイカーで行けるものなら行ってみたい。ただそれだけの簡単な理由で訪れた初めてのロシア。。。そしてそこで見たもの、接したもの、経験したもの それは余りにも今までの認識や印象とはかけ離れた真逆の世界がありました。Gちゃんに人本来の在り方を問いかけ「出直して来い!」とさえ罵倒され門前払いされたような初めてのロシアと そこに住む人々でした。

多くの名もないつつましやかな人々、そしてその生活。恐らく昔の日本もきっとこうだっただろう。

物にあふれ豊かな経済とやらを謳歌しているはずの我々。そんな我々が「豊かさ」と引き換えに捨て去った 人と人のかかわりや 生きざま。思いやり支え合う、人本来の暖かさや息吹。かけがえのない家族の絆や結びつき。我々現代人がとっくに忘れ去っていたものの価値や意味を ロシアは問いかけてきたように思えました。

両手につかんだように錯覚しても カネやモノでは結局は得られなかった心の幸せや生きる人本来の在り方。みんなみんな我々現代人が信じて疑わなかった右肩上がり経済至上主義の そんな出口のない迷路や錯覚、幻想の未来にみんな気が付き始めたのではないでしょうか。。。「足るを知る」、あまりにも我々は忘れていたように思います。

夢のある人生を次の世代にも味わってほしい、今を生きる誰しもが願っていると思います。
何に意味があり価値あるのか、どういうことが大切で忘れてはいけないものか。しばらくはロシアとかかわることによって 豊かな生活そのもの自体の在り方を問い続けたいと思っています。




2014年2月25日火曜日

さようならロシア до свидания






冒険旅行もいよいよ最後の日を迎えました。ご声援と励ましをありがとうございました。

今回は 行きたくても不便でなかなか行けない、地球上では最極寒の町と言われている真冬のシベリアのヤクーツク、悪路では世界屈指と言われるモンゴルの南ゴビ砂漠 を幸運にも二つともなんとか無事走り終えることができました。夢かない いよいよ明日ウラジオストックより愛車パジェロと一緒に日本に向け帰ります。

暖冬と言われた今年のロシアは ソチオリンピック開催のため プーチン大統領命令で ロシア中にある寒さと雪は全てソチに掻き集められたらしい。ヤクーツクでは気温-55℃が精いっぱい。期待してた-60℃が叶わず残念。。またゴビ砂漠では ほとんど改造も何もしていない市販パジェロで大変な苦行、車はガタガタになってしまい 長年の愛車に申し訳ないことをしてしまいました。。。極寒、難路の環境のもと、いずれも最大の功労者は愛車三菱パジェロジュニア。走行22万キロ、今回の旅でも42日間、13,500㌔の難路をよく耐え走ってくれました。すばらしい車です。家に帰ったら十分に休ませてやろうと思っています。

いま思い返して苦しかったのは やはり国家警察の監視下に置かれ二日間厳しい尋問を受けたことです。パスポートを忘れて国境を超えるのろまなテロリストなんて居るはずもないとは思うのですが 折が折り 辺境の地でも神経を尖らせているロシアの治安管理を垣間見ることができました。

おかげで持参のハードデスク中の貴重なデータや多くの写真はほとんど消えてしまい その回収と回復に後々が大変ですが、パスポート不携帯の罰金千数百円で済んだのは幸運だったと思います。いくらでも拘束理由は付けられたことでしょう。迷惑を掛けましたロシア当局関係者のみなさまにお詫びします。。。氷のような鋭い目。モンゴル国境まで見送ってくれた尋問責任者の、別れぎわに初めて見せるその眼にこみあげている暖かいもの。人と人の一期一会の不思議さと素晴らしさをつくずくと感じさせてくれました。 

決して諦めない。プログでは繰り返し述べてきましたが 昨年の冒険旅行での苦い経験が今回の旅の大きなバネになりました。敗退や失敗が夢の終わりを意味するものでは決してない、むしろそれが夢実現への第一歩、。。挫折や敗北が大きければ大きいほど それを跳ね返す爆発力も大きくなったように思います。必死になってロシア語に挑戦 夜も昼もなかった苦しかったこの1年、たくさんの思い出や収穫をもたらしてくれ、また報われ、心から喜んでいます。

誰しも何事も 願ったように進んでくれるような毎日ではありませんが 決してあきらめない、これからも大きな夢を追い求めていきたいと思います。

長い間のご愛読ありがとうございました。長文、駄文、ずいぶん読みずらく ご迷惑を掛けました。プログを通じ なにか一つでも参考になるようなものでも読み取って頂けましたら幸いです。重ね重ね ご愛読ありがとうございました。

なおこれにてしばらくこの「Gちゃんの大冒険」休刊とさせていただきます。まだまだ胸ときめく冒険旅行の続編は続きます。次の冒険が始まるその日まで、また元気にお会いできる日を願い 皆さまのご健康、ご多幸をお祈りします。お幸せにお過ごしください。


駄作ですが 今回の冒険旅行の写真をアルバムにまとめました。下記のアドレスをクリックしてください。全画面サイズ、スライドでもご覧いただけます。ほとんど原版での掲載で重いのもありますが お好きな写真はご自由にインストールしていただいて結構です。

https://photos.app.goo.gl/qfaKXcRwwqygC7tC8



2014年2月22日土曜日

夢かなう


昼過ぎウラジオストックに到着しました。大した事故もなく元気にここ出発点にまた戻ってこられました。ホテルのベッドの上で大の字に寝転がっています。夢がまたひとつ叶ったという実感や感動はいまひとつ湧いてきませんが さっそく自宅に電話して安堵する愛妻の声には胸の詰まるものがありました。これで今回の冒険旅行は全て終わりました。

「夢がかなう」。今日はまた長い間もっていた特別の夢が叶いました。信じられませんが、強い願いは叶えられるものですね。神は居る。つくずくそう思いました。

ウラジオストックの街にあと数10分。これが最後のラストラン、長かった旅を振り返りながら走っていました。。。ぬ?なに??なぬ~???三車線の高速道路、通り過ぎてからも何故か猛烈に後ろ髪を引かれる思いに襲われる道端の、どこにでもありそうなガソリンスタンド。

昨年1月18日のプログにも事情は説明させていただいた旅の最初の日の出来事。車のガソリンが一滴も残っておらず 涙も出ないほど苦しんだGちゃんを助け励ましてくれたあのガソリンスタンドの爺さん。会いたくて、礼が言いたくて、ずっとこの1年間、ことあるごとにあの辛かったことや有難かったことを思い出していたのですが。今回も出発初日に半日かけてそのガソリンスタンドを探し回わり結局は発見できずじまい。それだけが今回の旅の一番の心残りだったのです。

どう考えても気にかかるあのガソリンスタンド。道路脇に車を停め。高速道路ですのでUターンはできません、ハザードを点滅させたまま強引にバック。裕に500㍍、1㌔近くあったでしょうか、違っていてもともと。時間をかけバックしました。。。見えてくるガソリンスタンド、バックミラーに映る爺さんの姿!去年 通じるはずもないのにロシア語で延々としゃべりまくったあの人懐っこい爺さん。去年と同じ帽子被って同じヤッケ着て!!。会いたかった人がそこに居る!!。。

狂喜。もう後はどうなったのか分かりません、あわててガードレールにパジェロをぶつけフォグランプが折れ曲がってしまったことくらい。驚きでわが目を疑いながら。転げ落ちるように運転席。駆け寄る爺さん。お互いに熱い抱擁。

Gちゃんにとってはこのガソリンスタンドはロシア冒険旅行の原点です。ロシア語のイエスもノーも知らず、もちろん道路標識も何も読めなかった昨年の冒険旅行。思い出しても胸の痛くなる苦しい毎日でした。読めない、書けない、しゃべれない、聞こえない、そんな極寒の一人旅。シベリアでは日本語はもちろん、英語は全く通じません。買いたくてもガソリンスタンドの在りかさえ知る方法はありません。

舐めたらアカンで!大きなロシアに出直して来いと はじき飛ばされた思いと悔しさ。そして一方 奥の深い暖かいロシアを教えてくれたこの爺さん。昨年のあの出会いがなかったらもう二回とロシアに来ることはなかったと思います、それほどGちゃんにとっては忘れられない恩人であり先生でした。恩人に会いたい、礼が言いたい、それだけで頑張ったような一年間のロシア語勉強でした。

昨年と同じ スタンド横の番人小屋の破れたソファーに座り、こうしてまた恩人に再会できた喜び。涙がこみあげて止まりません。見れば爺さんももらい泣き。お互いに再会を信じられない思いで 今度はロシア語で延々と 年寄り同士自分勝手に思いつくまま 相手が聞こうが聞こまいが。。。野イチゴの自家製ジャムをお土産にもらって来年の又の再会を約束して別れました。爺さん、元気に待っていてくれよ。会おうな、また元気で絶対に会おうな。

夢かなう。おそらくGちゃんは誰よりも世界で一番幸せな男だと思います。素晴らしい旅の 素晴らしい最終日になりました。




2014年2月21日金曜日

旅の終わり


日本へ帰るフェリーの出るウラジオストックまであと4時間ほどの距離、長かった旅も終わりを迎えます。都会には都会のホテルの便利さや快適さも多いのですが 今日はその手前の木立の美しい田舎町の小さな旅館に昼過ぎパジェロを停めました。

人懐っこさと純朴さ、親切さ。都会にはない人間臭い暖かい応対にどれほど元気をもらってきたことでしょう。晩ご飯は 客も居ないこととて 厨房の片隅にある小さなテーブルにおかみさんと二人で。だれかと一緒に食事をする、ふだん気も付かなかったことがやけに新鮮に映りました。ひと月前とちがい、もうすっかり春の日差しとなった夕陽が食卓の上に大きく差し込み 暖かく輝いていました。

日本の大雪は収まったのでしょうか。こちらは気温こそ昼間でもマイナス10℃前後ですが連日の快晴、日差しが暖かく 溶けた水が屋根からツララとなって垂れ下がり始めています。気の休める瞬間もなかった冒険旅行でしたが 今日は初めて4WDから2W走行に切り替え。エンジンも足回りも末期的悲鳴をあげながら、それでも健気に頑張ってくれています。旅館の玄関先に停めてあるドロドロのパジェロが哀れなほど痛々しく見えました。

朝起きたら用意されてある暖かい牛乳とコーヒーにトースト。新聞に目を通しながら食べる朝食。犬の散歩やたわいない家族との会話。普段は気にもしなかった、気も付かなかった、そんなどこにでもある当たり前の生活。。
人にとってそれがどれほど大切でかけがえのないものか。心はすでに我が家に向いています。


2014年2月19日水曜日

シベリア抑留戦没者




政治、思想、宗教問題についての話題はできるだけこのGちゃんの大冒険プログには持ち込まない積りでしたが。 シベリアを旅し、どうしても話題から避けられないのが旧日本軍シベリア抑留兵のこと。思い切って今日、ハバロフスク郊外にある戦没抑留者慰霊公苑に行ってきました。市内から車で10分の所にあります。

凍てついて雪の積もった広大な敷地に慰霊碑とモニュメント。誰も居ない記念公園。旅も終えすっかりふやけたGちゃんですが さすがに厳粛な気持ちになりました。。シベリアのみならず中国、ビルマ、スマトラ、硫黄島、、数々の戦地で散って行った人々の気持ちは如何ばかりだったろう、思いの馳せざるを得ませんでした。天皇を陛下と仰ぎ 陛下の名のもとに犠牲になって行った人々。この過酷な環境で耐え忍び心から満足して国の為に死んでいったのでしょうか。母や父や妻を思い、ただそれだけが生きる支えだったのではないでしょうか。誰しもが持ってる、山青き、川うつくしい、あの故郷に帰りたかったのではないでしょうか。苦しく悲しかったと思います。そんな無名のたくさんの人々に心からの冥福を祈りました。すっかり平和な世の中に慣れきってしまいましたが、なんて我々は自由で素晴らしい毎日を送っていることでしょう。これで不平を言えばバチが当たります。

小さなことにこだわりました。上の写真は修正してあります。「衆議院議員 何野たれベイ書」と大きく刻印されていました。厳しいですが、これがこの何野たれベイさんの本音、思考の本質、Gちゃんはそう判断しご本人には失礼ですがプログでは消しました。
これは私人の墓標ではありません。日本国民みなが願う戦争への反省と平和への誓いの象徴であるはずです。どうしてそこに個人の肩書と名前が要るのですか。国民ひとり一人のお金と願いが込められているのではないのですか。
Gちゃんには 遺跡に自分の名前を落書きしてる修学旅行の中学生の悪ふざけのようにさえ映りました。純粋であったはずのせっかくの慰霊碑、当事者だったはずの国も政治家も もっとその意味を考えて欲しかったと思います。

靖国神社問題を筆頭に今も保守体制層に蔓延している思考。加害への深い反省のないことがそうさせるのだと思います。先の戦争を侵略と呼ばなくて何て呼ぶのでしょう。
占領軍に押し付けられた憲法、隣国をシナと呼んで何が悪い、恥じらいもなく公人が叫んではばからない昨今の日本。とんでもないおごりと傲慢な思考だと思います。平和ボケしたとしか言いようがありません。今を生きる者の使命とは何でしょうか。

個人的な責任所在を弾及するのではないのです。二度とそんな失敗を起こさないための冷静な真の原因把握と対応こそが明日を生きる者の知恵と責任だとGちゃんは思います。それが反省というものではないでしょうか。
福島原発事故でもそうです。失敗に謙虚に向き合うことは決して「自虐的」でも恥ずかしいことでもありません。 

再びこういう慰霊碑の作らなくて済む国になれるよう、ここシベリアだけじゃない、何百万というアジア各地に散った同胞の思いに 真摯に思いを馳せたいと思います。そうでなければ この戦争で命を奪われ死んでいった人々は 単なる犬死ということになりかねません。  




2014年2月18日火曜日

油断大敵


大雪が終われば日本は梅の花、続いて桜の花。待ち遠しかった春の到来。あのうららかな小川の流れ、ツクシの芽ぶく野山、懐かしく、少し感傷的になります。シベリアは樹氷というのか氷華というのか、時を盛りに満開です。もともと乾燥し切った大地、通常はマイナス摂氏30度や40度では空気中の水分が氷になってしまいキラキラと太陽の光で美しく反射しているものですが。。昨年は完全に凍結してた大河アムール、暖冬の今年は水面からもうもうと水蒸気。それが樹の枝に見事な華を咲かせています。


旅の終盤。走り慣れた道。ハバロフスクを目前にして、もうここまで来れば後は何とでもなる。油断してました。旅行中ずっと60ℓ積んで走ってた予備のガソリン。もう要りません。10ℓだけ残してパジェロのガス欠まで走行。。予定通りエンジン止まりました、道端にパジェロを停めて。残りの予備10ℓをやおら入れようとしたら!!げげげ、入ってるはずのタンクが空っぽ!青くなりました、そう言えば一昨日か、ガス欠の老夫婦にあげたのを忘れてた!

停まってくれた見ず知らずの人の助手席に乗せてもらってガソリンを買いに行きました。スタンドまで40㌔はあっただろうか、パジェロは道端に停めたまま。往復小1時間は裕に掛かった田舎道。10ℓ缶買って戻ってきたらパジェロはライト点けっぱなし、ドァもロックしないまま。。よっぽど慌ててたのか取り乱してたのか。。ガソリン入れてエンジン掛かるのを見届けてその見知らぬ人、じゃ、気を付けて、バイバイ!!そう言えばハバロフスクへ向かってるって言ってた、そこから優に300㌔以上、4時間は掛かる道のり。わざわざGちゃんのために時間と労力を割いてくれた。。。実はお礼の気持ちを込めて、せめて使わせたガソリン代の埋め合わせにもとオカネを渡そうとしたのですが。ロシアの習慣にはそういうのはないらしい、受け取らないどころか 無理に渡そうとすると怒り出す始末。it's my pleasure、それが私の歓び。。これからも人が困って助けを求めてるときは Gちゃん、この嬉しかったこと 思い出そうと思います。最後の最後になってまたロシアに教えられました。


真っ赤に焼ける夕陽を見ながらハバロフスク到着。ウランバートル以来の、首まで浸かってゆっくり熱いお風呂。下着もみんな着替えて颯爽と日本食堂。ご飯にお味噌汁掛けてタクワンぼりぼり。。長かった冒険旅行もあと1000㎞。2~3日、ゆっくりここハバロフスクで 休養するつもりです。

2014年2月17日月曜日

旅も終盤







シベリアの大地に昇る朝日と沈む太陽。もう何回見ても感動します。寒く空気も澄みきっているからでしょうか。太陽ってすばらしい。生命の源を見る思いがします。

ぜひ上の写真をクリックして下さい。自分で言うのはおかしいけれど。すばらしい太陽です。感動します。